私が病院に行かなくなった理由

2024年08月17日 00:22

私はもう30年以上、病気で病院に行ったことがありません。虫歯の治療で2〜3回歯医者さんに行ったっきりで、薬はいっさい飲んだことがありません。

この時代にあっては変人の部類に入るかもしれません。「体調が悪い」と言えば、「早く病院に行きなさい」とたいていの家族は言いますから。

しかし最近では、話してみると「私も行かないし、薬も飲まない」とおっしゃる方が結構いて、あるいは時代と共に増えているのかもしれないとも思います。

余談ですが、天寿をまっとうした私の母方の祖父も94歳でこの世を旅立つ直前まで、病院へは行きませんでした。祖父は単純な病院嫌いだったのですが笑、90歳を越えるまでお米を作り野菜を育て果樹を栽培し---と、自然に親しむ生活を送っていました。

30年前までの私はどうだったか、といいますと、月に一度は風邪を引いて病院のお世話になっていました笑  どうして変化したのかと言いますと、それは雄山に出会ったからです。

その頃、私の師匠である雄山は日本で、現代の言い方でいうとスピリチュアルヒーラー、その頃の言い方だと療術師という資格を持って仕事をしていました。

医者では無い者が、人様の体に触ることは、それなりの資格をもっていないと出来ませんでした。そんな雄山のようなスピリチュアル系の人達に“療術師”という資格を与える全国組織”が、石川県にありました。

ギックリ腰であれば雄山は、たいてい1回の施術で治すことができました。西洋医学で、余命あと半年と診断された人でも、10年も元気で人生を楽しんでいた人もいました。

その雄山が、わずらった私の右目に手をかざすと言いました。「単純な細菌による感染症ですね」即断でした。

雄山には第三の目が開眼していました。まるでTVやラジオのチャンネルを合わせるように、視たいものにフォーカスすると映像として視ることが出来る透視能力を持っていました。

その頃は私にまだ信念も無かったので、雄山の施術を受けると同時に病院にもかかっていました。経験のある方はご存知だと思いますが、神経の集まっている目の検査は非常に辛いものです。

完治するまで、ほぼ1ヶ月くらいかかりましたが、その間私は、病院でいろいろな検査を受けなければなりませんでした。1番辛かったのが目に強烈な光を当てられることでした。

目を閉じることも許されず、やり場のない苦しさに耐えていました。それは実際の症状よりも辛いことでした。そして1ヶ月ぐらい経って、ようやく診断がくだりました。

「おそらく単純な細菌による感染症だと思います。」医師は雄山が初見に言ったことと全く同じ診断を下したのです。

この時を堺に、私は病院に行かなくなりました。雄山の能力の的確さ、彼自身で編み出した「人の自然治癒力を活性化させて元の健康体に引き戻す」という人に優しい療法の素晴らしさを実感したからです。

そして雄山から自然療法を学び、療術師の資格を取得して13年間にわたり、雄山の右腕的な役割をにない、訪れる方々に施術を行う中で様々な確信を得て今日にいたります。

私は病院に、またお医者様方に反対論を唱えているわけではありません。西洋医学が世の中にどんなに貢献されているか、またお医者様方がなさっておられる数々のご努力に対して心から尊敬しています。

そして私のような生き方を軽々しく人様にススメようとも思っていません。それは体験から取得した強い信念を必要としますので。

しかし私の身体は年齢と共に次第に病気に強くなって行っています。コロナ過の3年間さえ一度の喉の痛みも熱も咳もありませんでした。老眼にさえならず、スマホの小さな字も裸眼で見れます。2024年初頭からはボイトレを始め歌唱も楽しむようになりました。

こんな人間がこの世に存在するのだ、という一つの事例として、これからも様々な観点から、体験から、その何たるかを述べてみたいと思っております。

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